東京のど真ん中に東濃ヒノキが! 第1章

東濃檜のいろんなこと|2015月06月22日

地球の環境保全に立ち上がる東京都港区


昨年の秋に東京都港区の施設「みなとパーク芝浦」が山手線田町駅の横にオープンしました。

この施設は地上8階地下1階、延べ床面積約5万㎡と巨大な建物で、この地区の総合支所や

介護予防センター、スポーツセンターなどが入っています。


みなとパーク芝浦

(みなとパーク芝浦)


この巨大な施設の中にもしっかり本村の東濃ヒノキやスギが使われました。

下の写真は区民ギャラリーで、壁一面が東濃ヒノキです。

そのほか、スポーツセンターの壁やアトリウムなどには本村のスギが使われました。


区民ギャラリー



(区民ギャラリー)


なぜ、こんな東京のど真ん中に本村の木が使われたのか。


それは東京都港区では炭素固定を目的に公共施設をはじめ民間の建物にも国産材を使うことを推進しているからです。

これは日本が戦後にナラやブナなどの広葉樹を伐採してスギやヒノキを植林しました。

そのスギやヒノキの伐採時期が来ているにもかかわらず国産材の自給率というか利用率は30%にも満たないのです。

その理由は安くて安定して仕入れることができる外国産材に圧され、国産材の価格は低迷し、山の所有者にとって

搬出しても採算が合わないことが一番の原因です。スギやヒノキの人工林は枝打ちや間伐など手入れがされて

はじめて健全な山と言えるのです。


手入れがされていない山は陽が入らず地面は下草もなく石でガラガラです。

そして出荷されずに切り捨てられた木は腐って炭素を吐き出します。


こうした環境を考え、港区では国産材を積極的に使い荒廃した山林をこれ以上作らないように森林を持つ

川上の全国75自治体(平成27年6月現在)と協定を結び建物の木質化を図っているのです。


東京都は2020年に開催される東京オリンピックやリニア新幹線の開通に伴う新駅の建設など様々な開発が計画されています。

また、港区以外の都市部にも多くの国産材が使われれば日本の森林は健全な山に生まれ変わり、

また、切ってはならない東南アジアなどの森林は守られるのではないでしょうか。

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東濃檜のいろんなこと①

東濃檜のいろんなこと|2014月09月18日

【檜と書物】  えっ!檜は胸毛!?


世界に誇る建材!東濃檜を紹介するシリーズ。

第1回は書物から、檜と人の関わりを探っていきます。

檜は日本の書物の中でいつ頃から登場したのでしょうか。

日本最古の歴史書である古事記(712年)、そのあとに撰進された日本書紀(720年)を調べてみました。


では、古事記から。ありました!古事記 上巻3 天照大神と須佐之男命にて登場します。

スサノオが出雲の国にて老人と老女と少女と出会う場面。ヤマタノオロチの容姿の説明をするところに出てきます。

なんと、ヤマタノオロチの背中に杉と檜が生えていた!

【原文】↓

故、所避追而、降出雲國之肥上河上・名鳥髮地。此時箸從其河流下、於是須佐之男命、以爲人有其河上而、尋覓上往者、老夫與老女二人在而、童女置中而泣、爾問賜之「汝等者誰。」故其老夫答言「僕者國神、大山上津見神之子焉、僕名謂足上名椎、妻名謂手上名椎、女名謂櫛名田比賣。」亦問「汝哭由者何。」答白言「我之女者、自本在八稚女。是高志之八俣遠呂智此三字以音毎年來喫、今其可來時、故泣。」爾問「其形如何。」答白「彼目如赤加賀智而、身一有八頭八尾、亦其身生蘿及檜榲、其長度谿八谷峽八尾而、見其腹者、悉常血爛也。」


【現代訳】↓

こうして追放されたスサノオは出雲の国の、斐伊川の上流にある鳥髪というところに降りた。

そのとき、川の上流から箸が流れてきた。

そこでスサノオは川上に人がいると思い、それをたずねて、上っていくと、老人と老女が二人、少女を間に泣いていた。

そこで「おまえたちは誰だ」とおたずねになった。

すると老人が「私は国つ神の、大山津見(オオヤマツミ)の神の子です。

私の名は足名椎(アシナヅチ)といい、妻の名は手名椎(テナヅチ)といい、

娘の名は櫛名田比売(クシナダヒメ)といいます」と答えた。

また、「おまえはなぜ泣いているのか」と問えば、

「私の娘は、もとは八人おりましたが、高志のヤマタノオロチが毎年やってきて食べてしまいました。

今がやって来る時期なので、泣いているのです」と答えた。

そこでスサノオが「それはどのような姿をしているのか」とたずねると、

老人は「目はほおずきのように真っ赤で、胴体は一つで八つの頭と八つの尾を持ち、

背中は苔むし、檜や杉の木が生えていて、その長さは八つの谷、八つの峰にわたり、その腹はいつも血が滲んでいる」と答えた。


ヤマタノオロチはでかかった。


つづいて日本書紀。巻01/神代上にて登場します。

ここでの檜の扱い方から、この時期ではすでに木の特性を知り、使い分けていたことがうかがえます。

それでは、原文と訳を先に。


【原文】↓

一書曰、素戔嗚尊曰「韓鄕之嶋、是有金銀。若使吾兒所御之國、不有浮寶者、未是佳也。」乃拔鬚髯散之、卽成杉。又拔散胸毛、是成檜。尻毛是成柀、眉毛是成櫲樟。已而定其當用、乃稱之曰「杉及櫲樟、此兩樹者、可以爲浮寶。檜可以爲瑞宮之材。柀可以爲顯見蒼生奧津棄戸將臥之具。夫須噉八十木種、皆能播生。」于時、素戔嗚尊之子、號曰五十猛命。妹大屋津姬命、次枛津姬命、凡此三神、亦能分布木種、卽奉渡於紀伊國也。然後、素戔嗚尊、居熊成峯而遂入於根國者矣。棄戸、此云須多杯。柀、此云磨紀。


【現代訳】↓

一書に曰く、スサノヲ尊がいうには、

「韓(から)の国には金銀がある。もしも我が御子の治める国に、船がなかったならば良くないだろう。」

こう言って、次々と鬚(ひげ)を抜き取ったところ杉となり、胸毛を抜き取ったところ檜(ひのき)となり、

尻の毛は柀(まき)の木となり、眉の毛は樟(くす)の木となった。

さらにその用途を定め、提言して言うには、

「杉の木と樟の木と、この二つの木で船をつくるがよい。檜は、立派な御殿をつくる用材にする。

柀は、この世に生きとし生ける者の、墓の棺に用いるがよい。

食用となる数々の果樹の種子は、よく蒔いて育てなさい。」このように言った。

時にスサノヲノ尊の御子は、名をイソタケルノ命と言った。

その妹は、大屋津姫命(オホヤツヒメノミコト)。次に抓津姫命(ツマツヒメノミコト)。

すべて三柱の神も、よく木種(コダネ)を蒔いて歩いた。この三柱の神は、紀伊(き)の国に祭ってある。

このあと、スサノヲ尊は熊成(くまなり)の峰(みね)にいて、やがて根国(ねのくに)に赴いた

棄戸、此をばスタへと云ふ。柀、此をばマキと云ふ。

※河出書房新社版『古事記・日本書紀』参照


棄戸(スタへ)・・屍を棄てる瓮(へ)  樟・・・クスノキ

瓮(へ)・・酒や水を入れる器      柀・・・コウヤマキ


檜はスサノオ尊の胸毛でした!


また、檜は御殿の建材として使われていました。檜は香り豊かで、加工が容易な上に緻密で狂いがなく、

時間の経過とともに色艶に味わいがでてきます。また、切られてから200年は強度が増していきます。

他の建材はゆるやかに強度が弱くなる中で、檜は世界に誇る建材です。

スギとクスノキは船に。柀(マキ)は棺に使われており、それぞれ、発掘されたものから使用されていたことが確認されています


古代から日本人は、樹木の特性を知り、用途によって使い分けていました。

古代から延々と受け継がれている、知恵と技術。

歴史とともに培われた自然と人への優しさ、東濃檜と無垢の家。

東濃檜は、香り高く淡いピンクで、艶があり時と共に光沢が増し、加工性や強度に優れています。

そんな東濃檜を紹介していきます。


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